日本海海戦で日本が勝利した5つの要因
日本海海戦で勝利した5つの要因
日本は、日露戦争の勝敗を決する日本海海戦で大勝しました。
歴史教科書では奇跡などと書かれていますが、奇跡で完全勝利などありえません。
日本勝利は奇跡ではなく、必然だったのです。
その理由は5つあります。
1.情報収集と無線伝達
日本は、イギリスを日英同盟を結んでいました。イギリスから得た情報と、日本の哨戒活動により、バルチック艦隊の航行位置を常に収集していました。
さらに、日本は世界最高性能を誇る三六式無線電信機を実用化していました。
明治36年(1893年)に、逓信省の技師・松代松之助が作り上げて、海軍技師・木村駿吉が大幅に改良したもので、150km以上の通信が可能でした。
通信技術において、日本はロシアより優位だったのです。
2.新開発の船の動力機関
日露戦争のとき、日本連合艦隊の艦船スピードは世界トップクラスでした。
海戦において、味方の艦船が敵よりも機敏に動ければ戦闘で有利になります。
日本の艦船は、海軍の宮原二郎が開発した性能抜群の動力機関を搭載していました。
明治29年(1886年)に開発し、明治33年(1890年)に実験航海しています。
宮原二郎
宮原式の性能は抜群で、
・外国製汽罐が90万円なのに、宮原式は40万円と価格が安く、しかもどの工場でも作れるほど製作が容易
・給水がラクで、掃除もラク。乱暴に扱っても安全
・エネルギー効率が高く、馬力が強い
・小型なので、スペースをとらない
イギリス人もビックリの高性能。これが日本海軍の高速化をもたらしたのでした。
高品質で故障しにくく、燃費性能が高く、小型、なんか現在の日本自動車産業を連想させますよね。この時代からすでに日本はモノづくり大国だったのです。
3.砲撃訓練
日本はバルチック艦隊との決戦に向けて、猛烈な訓練を行っていました。1年分の弾薬を10日で使ってしまうほどの訓練でした。
これにより、命中精度と射撃速度が向上していました。
日本人は、勤勉と言われて久しいですが、同時に努力も怠らない民族なのです。現在の自衛隊も大変厳しい訓練を日々行っており、練度は世界トップレベルと言われております。
4.常識にとらわれない型破りな作戦
世界的に有名な丁字戦法です。東郷ターンとしても世界に知れ渡っていて大変有名です。
日本では教科書で教えないので知名度が低いです。
日本艦隊は敵前でターンするのですが、相手からすればターンポイントが静止目標となるので攻撃しやすく有利です。反対に日本側はターンし終えるまでは射撃が不可能となるデメリットがありました。
世界の海戦戦術の常識では考えられない作戦でしたが、日本水軍の戦術案を参考にこれを実行したのです。
東郷ターン(丁字ターン)
メリットとしては、ターンし終えることができれば、敵艦隊の先頭を行く旗艦を集中攻撃することができ、敵の進路を塞ぐことができました。
日本連合艦隊の使命は、バルチック艦隊の撃滅です。日本海の制海権を得るためには、相手を壊滅させなければならなかったのです。「半分沈めました」では不十分だったのです。
このような背景から、危険を冒してでも、バルチック艦隊を全滅させられる作戦で戦いに挑んだのです。
東郷ターンを終えるまでは砲撃にさらされましたが、先頭を行く旗艦三笠はそれに耐えました。
10分間のターンを完了した後、日本連合艦隊は一斉射撃で反撃を開始したのです。
日本の砲弾が旗艦スワロフの主砲を直撃(ドラマ坂の上の雲)
5.世界最高の破壊力だった「下瀬火薬」と「伊集院信管」
日本連合艦隊には、日本が開発した新兵器が搭載されていました。
「下瀬火薬」です。
発明者は、広島出身の海軍技師「下瀬雅允」です。研究中に爆発事故で手を負傷し指を失ってしまいますが、それでも研究を続けて下瀬火薬を完成させました。
明治26年(1883年)でした。
下瀬火薬は、ピクリン酸を主原料とした火薬で、金属と反応して大量の熱を発生しました。
炸裂威力が圧倒的で、3000度もの高熱ガスを発生させ、砲弾のかけらは凄まじい勢いで飛散しました。バルチック艦隊が使っていた黒色火薬砲弾の3倍の破壊力があったと言われています。
また、この下瀬火薬の威力を最大限に発揮させるために新しく開発されたのが、高品質の信管「伊集院信管」です。
伊集院五郎海軍大佐が考案した信管で明治33年(1890年)に完成しました。
砲弾が発射された後に安全装置が解除される仕組みであった為、安全で、砲弾の充填作業時に安全ピンを外す手間も省けました。
敏感な信管で、海に落ちても炸裂し、ロープにあったても炸裂するほどでした。戦艦に命中しなくても、炸裂した破片と高熱ガスで敵艦船にダメージを与えていたのです。
日本の砲弾は海に落ちても炸裂した(ドラマ坂の上の雲)
日本連合艦隊は、「艦船速度」「命中精度」「射撃速度」「破壊力」「隊員練度」でバルチック艦隊を大幅に上回っていました。
日本海海戦で日本が勝利したのは、奇跡ではなく必然だったのです。
日本は江戸時代、明治時代から、すでに技術立国だったのです。
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参考にさせて頂いたサイト https://www.tanken.com/nitirohatumei.html
世界の戦術専門学者から下瀬火薬、伊集院信管の破壊力が圧倒的なダメージを与えたと分析されている。
ロシアの陸軍大臣のアレクセイ・クロパトキンは「我々は下瀬火薬と伊集院信管の技術にやられた」と言わしめた。又、イギリスのチャーチルは下瀬火薬、伊集院信管は世界的な発明と賞賛した。
通信技術、日本軍の士気の高さもロシア軍を上回っていた。
伊集院五郎元帥が
「我軍、一人として死なせはしない!みんな、生きて帰ろう‼」
伊集院元帥の熱き優しさと愛情は、休日返上の猛特訓となる。
悲鳴を上げた隊員が「こりぁまるで月月火水木金金だな…」とぼやき、鼻唄が生まれ、あの有名な「月月火水木金金」の軍歌が生まれる。
「勝って兜の緒を締めよ!」
伊集院五郎元帥はのちに男爵に、天皇からは勲一等を授与され、日露戦争、日本軍勝利の功労者と称えられる。
世界最強のバルチック艦隊を沈めた。
日本軍!
強しっ!!!