大東亜戦争勃発の原因はアメリカにあり!ハルノートに書かれた日本を驚愕させるその内容とは?

日本は、明治維新後、経済はアメリカと仲良くやってきました。

しかし、日露戦争で日本が勝利した後から、アメリカの対応が急変しました。

日本は想像していた以上に強く、このまま強くなり続ければ、白人至上主義の世界支配を完成させるうえで邪魔になると危惧したからです。

1930年代に入ると、アメリカは本格的に日本潰しに取り掛かります。

まずは、日中戦争です。

日本は中国国民党と戦っていましたが、アメリカは中国国民党に武器などを支援して支えていたのです。

それだけではありません。

日本は工業生産に必要な物資である、鉄や石油などの地下資源をアメリカからの輸入に頼っていたのですが、それを一方的に停止したのです。さらに、他の白人国家であるイギリス、オランダもアメリカと足並みを整えて、日本への物資輸出を停止したのです。

ABCD包囲網です。

 A・・・アメリカ
 B・・・イギリス(ブリティッシュ)
 C・・・中国(チャイナ)
 D・・・オランダ(ダッチ)

日本は窮地に追い込まれました。

当時のアメリカと日本の国力差は十倍以上あり、戦争しても勝ち目はありません。

アメリカの要求を受け入れて屈するか、勝ち目がない戦いをするか。ご存知の通り、日本は戦う道を選びました。

この判断について、「日本は勝ち目のない無謀な戦争をした」という人がいますが、私はそうは思えません。

もしアメリカの要求を一度でも飲めば、後に次から次へと要求を押し付けてくるに違いありません。白人たちが世界中の植民地でやってきたことを見れば、それは明らかです。

日本政府はそのことを熟知していたはずです。

日本が戦うことを決意した際、永野修身元帥が次のように言われております。

戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、
戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残せば、
我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう

日本精神という魂を失ってまで外国に屈することはあってはならない、ということです。日本の先人達は、勇気ある判断をしてくれたと思います。敗戦後、日本精神が残ったことで今の再起した日本があるのです。

われわれ日本人は、戦ってくれた先人達に感謝しなければなりません。

 

 

大東亜戦争(2)南方進出

日中戦争が始まった翌年の1938年のことです。

首相の、近衛文麿は、次のような考えを発表しました。日本、満州、中国の三国で、深いつながりを持ち、品物の行き来をもっと自由にしよう。東亜アジアのこの地域に、自分たちだけで自給自足できる経済圏(ブロック経済)をつくろう。欧米の支配から独り立ちしようという考えです。

「東亜新秩序」といいます。

ブロック経済は、欧米の国々ではとっくに実行されていました。

ブロック経済は以外の国の品物は高い税金をかけて輸入しにくくしていたのです。その影響で日本は輸出が減り、国内の人々は苦しい生活をしていたのです。それを何とか解決するためにも、自分たちも東アジアでブロック経済を行おうと考えたのです。

これは自然な考えだと思いませんか。

しかし、これに強く反対したのが、アメリカでした。

そんあことをされたらアメリカは、この地域へ輸出できなくなってしまいます。怒ったアメリカは、日本への輸出の品物を制限するようになりました。

今は、日中戦争の最中です。日本は、戦争に必要な資材は輸入に頼っていたのです。しかも、その多くはアメリカからでした。輸入品を制限されたら、大変不利です。

アメリカは、国民党の蒋介石にも、戦いのための物資を送っていました。送る通路は、フランス領のベトナムを通ってです。日本は、これを断ち切って、日中戦争を早く終わらせようと考えました。

1940年9月、日本は、フランスと交渉して、ベトナムに軍隊を進めました。フランスの領地(ベトナム、ラオス、カンボジア)を奪うことはしない。日中戦争が終わるまで、一時的に軍を置くだけという条件でした。

これを「南方進出」といいます。

実は、ここに軍隊を置くことは、日本にとっては、とても有利だったのです。

東南アジアには、地下資源が豊富にあります。石油、天然ゴム、すずなど日本にはないものばかりです。特に石油の依存が大きいのです。

もし、アメリカやイギリスと戦争が始まったら、日本軍は、この地域を制圧して、石油を手にい入れることができるのです。

しかし、当時、東南アジアはフランス、イギリス、オランダ、アメリカの植民地にされています。ベトナム・ラオス・カンボジアはフランス、インドネシアはオランダ、フィリピンはアメリカ、マレーシア・シンガポールはイギリスが、支配していました。

日本は、この地域を欧米の支配から開放させて、アジア人だけの経済圏をつくれないものだとうかと考えていました。

さきほど述べた「東亜新秩序」をさらに広げた「大東亜共栄圏」といいます。

一方アメリカは、日本がベトナムに塀を進めたことに、腹をたてました。

そんなところに日本軍がいたら、自分たちの支配地、フィリピンがいつ占領されてしまうかわかりません。

アメリカはさらに日本を苦しめにかかりました。

1940年8月 鉄を日本に売らない。

1941年7月 アメリカにある日本の資産を日本人が自由に使えなくする。石油を売らない。協力を、イギリス、オランダにも呼びかける。

などです。

こういうやり方を「経済封鎖」といいます。

みなさん、想像してみてください。

私たちの身の回りには鉄を使ったものばかりです。車も、線路も、ビルの鉄筋も、なべ・やかんもあらゆるものが鉄からできています。それらを作られなくなったら日本の工業は成り立たなくなります。

もっと困るのは石油です。その当時、石油の70%をアメリカからの輸入に頼っていました。それを止められれば、あと二年で日本の石油はなくなってしまいます。

石油からプラスチック製品ができます。石油からできている製品は、鉄と同じくらい多いのです。

ガソリンもできます。ガソリンがなくなったら車が動きません。飛行機が飛びません。

石油を燃やして電気を起こします。電気が来なければ、電車が動きません。灯りがつきません。工場の機械が動きません。

「石油の一滴は血の一滴」と言われていたのもうなずけますね。

石油がなくなれば日本人の生活が止まってしまいます。

日本は、アメリカのいじめのようなやりかたにじっと耐えてきました。アメリカとの戦いを避けてきました。今は、日中戦争の最中です。これ以上戦いを広げたくありません。また、戦って勝てる相手でもありません。話し合いでなんとかならないか、ずっとアメリカをうかがってきていたのでした。

ところが、1941年11月、アメリカの国務長官ハルは、日本にある要求を突き付けました。「ハルノート」といいます。

「中国やインドシナから全面的に兵を引け」など、十項目ありました。

これを見た日本の指導者たちは、がく然としました。

これらの要求を受け入れるということは、日本が多くの犠牲をはらい、苦労して築き上げてきたものをすべてあきらめろ、ということに等しいものでした。

とても、従えるようなものではありません。

12月、とうとう、日本は、我慢しきれなくなり、生き残りをかけて戦いを決意しました。
東南アジアを支配しているアメリカ、イギリス、オランダとの戦いです。

この戦いのことを、大東亜戦争(太平洋戦争)といいます。

引用 奇跡の国ニッポン

 


 

 

 

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